母子がいっまでも密着しすぎている

学校だけにはとても任せておけない。

言わなくても文章に書いたり、俳句にしたり、短歌にしてもかなりの効果がある。会社の帰りに一杯飲んで仕事のグチを言うのはいい。だが、仕事のグチはあくまで同僚の間で交されるべきものだ。
今やまさにうつ時代だ。WH0世界保健機構は世界人口の三パーセントがうつだといっている。アメリカでは年間実に八百万人がうつとして治療を受けている。日本もまた例外ではない。
ビジネスマンの1-1パーセントほとんど十人に一人がうつで、内科受診者の十分の一がうつだという。会社でせっかく出世しても昇進うつ病などという昇進してうつになる奇妙なメカニズムも出始めている。やっと勤めを終わって定年退職するとまたうつが待ち受けている。ビジネスマンの精神衛生的管理は現代的な命題の一つとなっビジネスマンはこういう苦労のなかに必死に生きようともがいているが、家庭の中に、会社の不愉快なことを持ち込むことはできるだけ避けるべきだ。

父親の方が話し出す場合が多く

そのために中間地帯というものが存在していい飲み屋でも、麻雀屋でも、スポーツセンターでもいい。毎晩、午前さまで、家庭を破壊するようなことでは困るが、飲み屋を緩衝地帯にして、外でのウサを家庭に持ち込まないように出来ればなおさらいい。
明るい家庭にするのも、暗い家庭にするのも、の中核であることは、昔も今も変わらないのだ父親の努力次第である。
何といっても父親が家庭-父からの手紙は子どもに強烈な印象を与えるキングスレイ·ウォードのたのは記憶に新しビジネスマンの父より息子への30通の手紙がベストセラーになっ著者はカナダ人の実業家で、大学卒業後公認会計士として六年間働いた後、化学事業を興して成功した。働き盛りに二度にわたる心臓の大手術を受け、生きているうちにこれだけは息子に伝えておかねばという切迫した気持ちで手紙を書きはじめた。ビジネスマンとしての成功のためのテクニック、または結婚、友情などについても人生の先輩、あるいは友人として愛情に満ちたアドバイスを与えている
子どもから見た父親の手紙については、いてあった。

 

母が共同してこれを行う…戦後は男女同権の立場

子供の数も一人か二人小学校高学年という

故向田邦子さんのエッセイ眠る杯にこんなことが書向田さんが初めて親もとを離れたのは女学校一年の時。当時保険会社の支店長をしていた父親から向田邦子殿と書かれた手紙を受け取りびっくりする。邦子!と呼び捨てにされ、馬鹿野郎!の罵声、拳骨が日常であったから、こそばゆいような晴れがましいような気分だったという。
文中では貴方と呼びかけ、折り目正しい時候の挨拶、そして訓戒も添えられ、向田さんはそこに威厳と愛情に溢れた非の打ち所のない父親を感じたと書いているまた、亡くなった東急グループ総帥の五島昇さんは、父の慶太さんからタイ、インドに初めて海外旅行する前日、こんな手紙を受け取っている。

高校がおもしろくない《昇殿旅行中の注意一、暴飲、暴食、絶対禁止。
一、生物、生水ハ一切飲食セザル事。
一、睡眠ハ必ズ,八時間以上トル事、従ッテ就床ハ必ズ十時以前ニスル事。
一、ゴルフヲシテモ、ゴルフ場ノモノヲアマリ喰ハナイ事。
一、ロスト·ボールヲ探シテ
ラフ﹂ニ入ラナイ事。ラフニ入レバ毒蛇ニカマレルノ憂ヒアレhho五島慶太さんは強引な企業買収、超ワンマンで強盗慶太の異名で世におそれられ、事業に専心しすぎてあまり家庭をかえりみることがなかったと思われている。めったに息子に手紙を書くなどということはなかったというが、まるで指令書のようなこの手紙にはこぼれるほどの息子への愛情がにじんでいる。
このような普段見せないやさしさが、えて離さないといっていい。
いじめられるわということであれば
いじめられるわということであれば

子どもが満足するはずがない。

体験をしていれば手紙だからこそ父親も表現でき、それが子どもの心をとらもし、手紙をうまく書く自信がないというなら、他の表現方法でも構わない。たとえば、述べたが、わたしの父が、一九二三年、ミュンヘンの留学先から詠んだ歌を送ってきた。

街上を童子等互に語り行くペン尖1つ五十万マルクするよ前にもかたみさき第一次大戦後のドイツが大変なインフレの時期で、たしかビールのジョッキ一杯が何百万マルクもした時代だ。
カバン一杯のマルクがビール一杯でなくなった
と書いてきたのだった。
父は
すごい状態なんだなこの表現が、ということを非常にはっきり感じさせると同時に、大きな感銘をも与えたのはいつまでもなかった。
このように、父親は子どもに
それとなくわからせるということを心掛けるべきだと思う。

先生たちはだまっていたのだろうか。

子どもが親もとを離れたとき、旅行に行くとき、または自分が旅行に出かけるといったような折りに普段はなかなか言ってやれないことを手紙を手段に子どもに伝えてやるのも親の務めではないかとわたしは思う最後に、ビジネスマンの父より息子への30通の手紙から引用させてもらおう。
三十通目は第一通目から約二十年後、息子に会社を譲る際に書いた手紙である。息子は父親に役員としてとどまるように説得するが、著者は近い将来はともかく、健全で、賢明な、長期的な計画すなわち会社の成長のプラスにならないと、引退を表明する
そういうわけで、いつもの君のユーモアと忍耐力と勤勉さで、会社を経営し、成長させて欲しい。
私たちは今後も私的にはたびたび話し合いの機会を持ち、宗教や政治の問題を論じ合ったり、検討したりするだろう。ただ、君と経営方針を練ることは、金輪際しないつもりでいる。中略父さんは長年打ちこんできた事業からどぅして手が引けるんだろう!という君の心配は無用であるまず第一に、君のお母さんがこの二十年間に冬の休暇を楽しんだのは11回でしかない。私はこの数字を書き換えようと思う。母さんも心得


小学校高学年という 幼稚園ではどうか? 小学校高学年という