子どもをもっと抱きしめてあげてください。

母親からするとまだまだ危なっかしくて仕方なく

そのなかから、商社の中間管理職で札幌に単身赴任していたAさんの大学受験を控えた長男との関係が悪化したのは、Aさんが休暇で帰宅した時のことだった。まずAさんは自分の部屋が無断で長男にあてがわれているのを知る。そして、些細なことから親子喧嘩になると、受験だからという理由で凄はAさんに我慢を説く。いつしか家の中の主導権は長男に握られていく。長男はたまに帰ってくる父親をバカにしだす。
父子関係が決定的に逆転したのは、札幌から東京勤務に戻った時だった。
がって、Aさんの部屋は明け渡されない。
長男は一浪电したある日、テレビのチャンネル争いから長男と取っ組み合いの喧嘩になった。そこへ凄が飛んできてAさんに自制を求める。そして手をついて謝れという長男に、Aさんは言われた通り謝って
しまった。
現在、Aさんは帰宅拒否症でクリニックに通院している。
クリニックの院長の説明によると、Aさんは温厚な性格で、なるべく丸く丸くおさめようという気持ちがあって、軽く謝ってしまったのではないかという。

子どもがどうしてこわがるそして、そのことで息子はますます増長し、父子関係は完全に逆転してしまった。
院長はAさんに荒療治として、息子との徹底的な殴り合いを勧めている。いくら殴られても、子が手をついて謝るまで断固として闘う。体力的にはかなわないが、最後までやめないことが、親の復権には必要だとしている。
息父また反対に、父親が厳格すぎても問題が起こる。
一九八○年、息子が両親を金属バットで殺害するという事件が起こった。このむごたらしい事件は、被告が浪人中の受験生であるのに対して、父親は雲の上の東大卒という一事だけでもおおよその察しがつく。すなわち、父親は完璧で一点も非のうちどころのないような存在として息子の前に立ちはだかっていた。おそらく、人間的なふれあいは皆無に近いほど少なかったのではないだろうか。

  • 育てたときの気持をもちつづければよいのである。
  • 幼稚園で遊んでいる
  • 小学校低学年のうちは丸つけをしたり音読を聞い

高校受験の時は七十

中学校が思春期の難しさを背負う義務こういう父親の前では、子どもは息がつまってしまうのだ。
父親には当然、父親としての威厳がなければならない。しかし、昔の修身の教科書に出てくるようなオヤジであってはいけない。威厳八割、人間味二割くらいが妥当なのではないか。
オヤジもやっぱり人間なんだと子どもが感じていれば、金属バット殺人事件も起こらなかったかもしれな父親の理想像というと、わたしは鮭のオスを思い出す。
精神病院協会の仕事で盛岡に行ったことがあった。盛岡の町には有名な北上川が流れていて、市内にはその北上川に合流する中津川という川が流れている。
川にのぼってくるのを見た。
私はその橋の上から鮭が産卵のためにご存知のように、鮭は溯河性の魚で、産卵の時期になると自分の生まれた川に戻る。

子育てにも大きな影響を持ってきます。上流まで川をのぼって行くそのとき、オスはメスにしっかり寄り添うようについている。男性が女性をエスコートしている姿だ。そして、メスが卵を生むと、オスはその卵に射精して受精させる。それが終わると、ほとんど死んでいく。
死が目前に待っているのに、鮭は傷つき、苦労をいとわず、子を生みに川をのぼる。
はとくに父親のあり方というものを教えられるような気がした。
この姿に私それは、男は黙ってすべきことをする。いざとなればよれよれになっても、家庭のために全力をふりしぼる。自分のその苦労が子には伝わらないことは百も承知だが、ひたすらすべきことをする。

大学の教授

天から命じられた自己の義務を果たす、ということである。
自然の摂理といえば自然の摂理以外の何ものでもないが、父親とはこのように厳しいものではないだろうか。わたしは父親の威厳とは、そういうものだと思っている。
子どもに尊敬される父親とは
-子どもの前で妻から立てられる父親に子どものしつけや行儀作法や食事の仕方などのマナーに関しては、わたしは女房任せであまり口出しはしない。女房のほうもわたしに口出ししてもらいたくないらしい。父親が口出ししなければならないときは、できるだけ口数を少なく重みをもたせたいということらしい。あまりペラペラ喋るより、ひと言ズバリと重みのある言葉を言えと女房はわたしに言っている。

子どもとふれ合う

母と同居しない家庭が多い。どうもそのほうらしだからわたしは子どもに箸の上げ下ろしまで干渉したり、口出ししたり、そういうことは家ではやらなかっう。ただ、他人様に迷惑をかけるようなことはするなとは、父親として言ってきた。これは父親の責任でもあるカ--たこまごまとしたマナーなど教えるのは、むしろ母親の責任においてやるべきだと思そうかといって、子どもにとって父親が雲の上の存在で手の届かない存在であってはいけないまた、触れればスパークしてヤケドするような存在であってもならない。


子どもがどうしてこわがる 高校くらいは卒業していないと困るといった考え方 母の女の生甲斐であった。

体験しました。

子どもはある時期家の手伝いをしたがります。

大人は慣れっこになっていて、いちいち気にしないのですが
何千億円という巨額にのぼる不正事件や、政治闘争のウラのあからさまな利権争いなど、新聞の一面をにぎわす政治経済の大問題から、社会面にあふれかえる市民の暮らしのトラブルとか刑事事件などなど。果てはちょっと街を歩けばとんでもないところの不法駐車や、走っていく自動車からの煙草のポイ捨てまで、なんで平気で他人の迷惑をかえりみないことが、こんなに多いのかといらだってしまう。気になると、大変なのです。

育てると心得ましょう

タバコ世の中の不正や不合理を見つめていると、人間社会のあり方そのものに不信を抱いてしまうのも無理からぬものだ、と私も若者と同じ思いです。
だのにです。だのに、一方で、それにもかからわず黙々と勤め、いそしんで、この私たちの暮らしを支えてくれる圧倒的な平凡そのものの営みというものがある。その全体は目で見渡して明らかに見えるものではない。見えないそれらが、いかに当たり前に日々行なわれているかを思うときああ、支えられているのだなア、と心の中で声をあげてしまう。それをまた実に思うのも確かです。
でもそれは大人になってこそ思うのですね思春期の子どもの心は、自身の成長発達が盛んで、つねに心身のバランスが不安定なために、ひたすら正義への思慕が、強く激しくなってしまうものです。

 

母親は彼女

成長の芽を摘んでしまうことが多い。体験ができればその欲求は満たされ解決される。

ゆがんだもの、ひずんだもの、正しくないもの、利欲にからんで他をかえりみないものなどが、ことごとく許せない、と力み返ってしまいがちな時期なのです。
思春期の人たちになにかを忠告するとき、その自負心や自尊心というものを傷つけて、反動·反抗を招いてしまうのは、あとあとの厄介の元になります。
かえって支える者が支えられるという世間のもっとも尊い実相が、のしるしなのだと私は思うのです。
まだまだよく見えないというのは若さ大人はしみじみと、子どもにこう語ってやるべきです。

子どもと対比して特別「おまえ自身のだらしなさ以上に、世の中そりゃずーっと幅広く、いい加減でだらしないことが広がっているのさ。
になってしまう。
と、こんな世の中で、自分だけがどうしてまじめに頑張れるのかって、だけどなあ、浩司」
ばからしい気おっとっと。
ちょっと待って。
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だけどなぁぁというのが、絶対の禁句なのですよに入ってしまいがちですね。
でも、この
だけどな
だけどなあそれまでは子どもにとって納得できないではない表現も、と、そこで途端に子どもがしらけてしまうのです。
子どもの気持
子どもの気持

学校が多い

子どもの話を目を見ながら聴く。そのあとにすぐと続くさっと目の光が失せて口がとがり「いいよ、もう。どうせ大人の言うことは決まってンだ。
聞く気はないよ」
とうそぶいてしまうここはどうでも、次のような語りかけでなきゃ、どうにも駄目なのです。つまり、r……こんな世の中で、自分だけがどうしてまじめに頑張れるのかって、ばからしい気になってしまう。
ほーんとに、そういう気になって当然なんだよ。
うん、わかる
としっかり言い切って、句読点のr
をしっかりとつけて。
一息ついて、そして、清心な気持ちになり直してだのになあ、浩司
と、さらに語りかけるのです。
「だのになあ、浩司。また一方で、黙々と自分のやれるまともな仕事に心も体もぶち込んで、この世の中の、土台の土台を支えている人がまた、これまた実にいっぱいいることも、自身もしっかり知っているとおりなんだからねえ」

育児というのこそほんとにつくづく思います。

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易きに雷同しないということをだ。
はらたいらさんの本におもしろ遊び事典というのがある。親子で楽しむネタがいっぱい
というサブタイトルがついている。その本の見開きに私の推せん文がのっているから、その一部をここに再録させてもらう。

父親がカッコよがって子どものレベルに身を落とし、子どもから友達扱いされていい気になっているうちに子どもは史上最悪の状態に陥った親が子どもに負けてやってばかりいた結果がこうなった。

  • 子どもは親に大事にされすぎている息子
  • 母が見かけたという。
  • 育児に疲れきっていてもなかなかまとまった睡眠時間

父親も押す。

母さんは長女子どもを遊ばせるには親が一段高い場所にいなければ真の遊びにはならない

父は子へ何を伝えられるか

父の感情は子の思いを越えて-昔のオヤジは怖くて当り前だった土居健郎さんは名著甘えの構造現代は奇妙に甘えの充満している社会であると言っている。子どもはテレビなどマスメディアの情報で、早くからいろいろなことを知るようになり、大人を大人とも思わなくなる。それとは反対に、大人は昔のように大人らしい大人が少なくなり、子どものような大人が増えていく。「そしてこの大人のような子どもと子どものような大人に共通するものこそ甘えなのである」と言っている。

子どもが意固地になるまた現代の父親の権威にも言及して、「現代は父親的権威がすっかり影をひそめ、各自思い思いの行動をしても誰も敢えて咎めようとしない。あらゆるタブーは取り払われ、社会全体は何かお祭り気分のように浮き浮きとした気分にある」と言っているそのような現代パパと比較すると、昔の父親というのは怖かった。
亡くなった版画家の棟方志功さんの父親はたいそう腕の立つ鍛冶職人で、幸の鎌と村正なみに扱われたという。
とくに鎌が得意でちょっと極端な例かもしれないが
父は潔癖で一徹で癇性であって、気持ちにさわることがあると、母でも子どもでも激しく叱責しました。ある時、わたしが何かでその激しい怒りを受け、炉の鉄ビンをいきなり投げつけられたことがありました。ところが母は、とっさに間に飛び込んで私をかばい、鉄ビンは母の眉間に真っ向から当たり、母は倒れました。

成長していたのであるところがのれんのよう

母の傷はいつまでもなおらず、包帯が長い間巻かれていましたと棟方志功さんはわだばゴッホになるという自伝に、父親のことを書いている将棋九段の升田幸三さんも、子どもの腕白は許すが、ズルイことは許さぬ怖い存在だった父親のことを、朝日新聞で語っている。
ヨーロッパから帰ってきて、狭い家で一緒に生活した、わたしの子どもの頃の父は、やはり癇癪持ちの怖い父だった。父は性格的に粘着性が強いから、癇癪を起こし、怒鳴ってぶん殴った後でこんどは猫撫で声でご機嫌をとるというところがあった。
これは内閉性、神経質という性格を備えているから、上ったときは我慢ができなかった。
そうなのである。
ただ、カッと頭に血が父にたいへん尽くしてくれたお弟子さんの一人に山口茂吉さんがいる。

母親は心を痛め

子どもにもこれからの時代山口さんは父の片腕のような人だったが、また彼ほど叱られた人もいない父の性格をよく知る人は別として、病院の職員で、炊事の人とか洗たくばあさんとかが父から雷を落とされて、鬼のような院長だと恨んだらしいが、これも父の真の性格を知らないからであった。
しかし、父は後で内心やり過ぎたと後悔し、被害者の頭を撫でるという心境になる。だが、時すでに遅しである。被害を受けたあと、甘い顔をされてももう取り返しがつかない。そういう損なところが父にはあった。
弟の北杜夫が、戦後箱根の山小屋で父と一緒に生活した時期があった。


子どもは親が読つい魅かれてか絵本の文字を指さして 母親は自殺 高校くらいは卒業していないと困るといった考え方