子どもの生活

勉強をしてもらいたいという

父が普通の人よりはるかに敏感な感受性を持った人だとすれば、青山にどうしても行きたくない理由は、純粋に感情がもとになったのではなかったかと考えられるのだ。父にとって青山はあまりいい思い出の土地ではないのではないか。ヨーロッパから帰ってみれば、病院は焼け跡になっており、高利貸しに借金までして大変な苦労をしてやっと再建する。しかし、精神病院の院長というのは悩みや心労が絶えることがない。何かあれば役所に呼びつけられて、小言を言われる始末書は取られる、管理体制がなっていないと叱られる。
その間に友人の芥川龍之介が亡くなる、島木赤彦が亡くなるなど、いやな思い出ばかりだ。そして、とどのつまり営々として再建した青山と世田谷の二つの病院と自宅が一夜にして戦災で灰になってしまった。

高校くらいは卒業していないと困るといった考え方父はとうとう焼け跡を見ていない。昭和二十二年に疎開先から東京に帰ってきてから、がすすめても青山を見に行くことはしなかった。見るのがいやだったにちがいないわたしいま考えると、父は動物的な感覚の強い人だったと思う。病院の経営に関する細かいことは副院長、事務長に任せきりだったが、基本的な先を見る感覚はひょっとするとかなり鋭かったのではなかったかと思う。もし父が賛成して、わたしが青山に病院を再建していたらどうなっていただろうかと思う。
入院患者は別として、通院にあまり交通の便がよくない。青山通りからだいぶ入り、高樹町からもずっと奥に入る。裏手は青山墓地だ。現在は環状四号線が下を通っているが、それが出来たのもオリンピックのあった昭和三十九年のことだ。周囲の道は、わたしの子どもの頃はなかなかの道路だと思っていたが、今見ると一方通行の狭さである。住宅地としてはいい場所だが、病院を経営するところとして、果たしてよかったかどうか疑問である。今の四谷を選定したのは父であるひょっとすると父はなかなか先を見通していたのではないか、と思うゆえんである青山はいやだと父が言ったあと、わたしは世田谷に住んだ。

  • 父親が解決のために積極的に乗り出してくれる
  • 父親をほめたら次
  • 子どものうちから習わせたほうがいいです

子どもに代って取り戻す努力

母親が何をさしおいてそして市ヶ谷とか、京王線の明大前、品川など、ずいぶんあちこち見て歩き、将来の拠点を探していた父はどこを見てもダメ
と言って首を横に振っていたが、今の四谷に来たら
いいぞと言った。このひと言で決まった。
ある著名な学者の住まわれた土地だった。お蔵だけ残る焼け跡だった。その先生は自分は今後は官舎住いでいいと言われ、その土地をいただいたわけである。今考えてみると適切な判断だったととにかく、四谷から明治神宮外苑まで全くの焼野原で、さえぎるものは何もなく見通せる。当時は車一台通るでもなく、都電はたまに通っても家の前の停留所は廃止になっている。売家や土地を見ても、わたしはどうも見てくれについひかれてしまい、最初は、こんな場所で、と思ったが、今になってみれば、こんな便利な場所はない。道路は広い環状四号線に面している。青山に再建していれば、今ほどの発展はなかったかもしれない。父の動物的なカンに感謝するばかりだ。そしてこがその後東京郊外に病院を発展させていった拠点となった。
昭和二十二年に父が東京に帰って来て、すでにわれわれが住んでいた世田谷の家に合流したラバラになっていた一家がまとまったわけであるその後、父のために必死に頑張って、戦後の困難な時期に箱根の別荘を人手に渡さないですんだとき、父はすでに箱根に行くだけの体力はなかった。

学校の間を往復するだけですそして昭和二十八年に四谷で死んだ戦後は、もう好々爺という形容が父には似つかわしかった。父の鋭さ、恐ろしさはすでになく最晩年は好きな鰻を人からもらえば、ただ子どものように喜んでいる父であった
父親の威厳が家族を支える
-家では影が薄くなった現代の父親家には一人こわい人をつくっておかなければいけない
が、,父親のことを言っている。
文化人類学者の中根千枝さんの祖母よく言っていた言葉だそうである。
もちろんここでいあるじうこわい人とは、一家の主ところが、戦前と戦後の民法の違いが、戦後はだんだんと父親が弱くなってきた。
この第一の理由としては家の崩壊がある。
決定的なものになった。

体験しないわけにはいかないそのうちやがて

旧民法第八七七条r子ハ其家11在ル父ノ親権ニ服ス
現民法第八一八条r親権は、父母の婚姻中は、父母が共同してこれを行う……戦後は男女同権の立場から、戸主制も廃止され、親権も父ノ親権から父母共同
に変化した法律的にも社会環境からいっても、当然戦前、戦中の父親のように家長権を行使する条件が、戦後なくなってきたということである。家族という単位一つ取り上げてみても、核家族化が進み何世代もが同居するという家庭が少なくなった従来は大家族で、父親というのはピラミッドの頂上にあって裾野がずっと拡がり、父親自身も偉いと自分で思うが、周囲もまた自然に盛りたてた。中根千枝さんが、インドで三十人五十人の大家族の家長に何人か会ったとき、父権という言葉が本当にぴったりする父親であったという。つまり大家族の頂点、としての責任感と包容力が父親の人物を大きくするのであろう。
二つ目には、現代の父親は家にいる時間が昔の父親より少なくなってきたこともある。

教育についての国際比較調査を行いました。

母さんがやってきてくれる戦後の高度成長期前後から、日本は完全にサラリーマン社会になったと言ってもいいだろう。サラリーマンというのは、自営業の人と違って一日中家にいるわけではない。むしろ職場にいる時間のほうが家にいるより長かったりする。自ずと子どもとの接触が稀薄になるまた、今までは自営業は住いと職場が一緒になっているのが普通だったが、このごろは自営でも通いの人が増えてきた。たとえば、開業医がそうである。診療所など、以前は職住が一緒というのが普通だったが、近頃は通いのケースが多くなってきた。ビルのクリニックへ自宅から通うケースいわばサラリーマン化だそういう人が増えてきた、ということで父親がサラリーマンはもちろん、普通の自営業の人も、家にいる時間が大いに減ってきた。
父親が外で働く時間が増え、そのギャップを埋めるために、た母親の力が強くならざるを得ないことになった。


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