母の女の生甲斐であった。

子どもたちを三名ずつの二つのグループに分けた。

経済的にも時間的にも余裕が出てき子どももせいぜい二、三人だ。子育てのウエイトが母親のほうにかかってくれば、母親も自然と責任を重く感じるようになる。お父さんは、子どものことについてあまり口出ししないでというようなことになる。物理的にも心理的にも母親は家の中で、昔とくらべるとずっと強くなり、自信を持つことになるひいては、知らず知らずのうちに父親を軽視するような態度になってくる。
きというものだ。
これは自然の成りゆ昔の父親は確かに力があるように見え、外面的にも威張って見えた。

子どもに辛抱させようと思っているその偉さの一面は作り上げられた偉さでもあり、その結果、父親自身も自らが偉いと感じるようになった。
昔は、家族がいる限り父親がいきなり玄関に出ることはなかった。
子どもなり、お手伝いさんか誰かが代行してお取り次ぎします
と言ったのである。
それだけでも、何となく偉く見えた。
今はそれを代行するものがいなくなったので、玄関にいきなり父親が出て行くというわけで、欠点も、隠しておきたいことも全部あらわにさらけ出されてしまう。そういう状況を凄も、子どももまのあたりに見てしまう。昔の父親でも、ワンクッション置かないで、すべてが直接さらけ出されてしまえば、なんだこんな父親だったのかと思われかねなかったかもしれない。

  • 高校時代は徹底的に遊び徹底的
  • 母さんの姿は見る目に快いものです。
  • 勉強できる。

育て方をしておいて

勉強は三十分しかしてないそのワンクッションが取り除かれてしまったのが現代の姿だ。核家族になってから、父権の防御線がぜい弱になってきたのだ
このことは、精神科の患者が表面的に増えたことにも通じる。昔の大家族だったら、軽い病気などは家族の間にうまく溶け込んでしまって、それなりに対応できたのである。自然にみんなで包容してやり、あまり大事に至らずにすんだし、本人も心理的にそれに対応することができた。
ところが、いま三人か四人の家庭で精神科の患者が一人出たらどうなるか。家族はただあわてふためくばかりで、適切な手ひとつ打てず、仕方なく病院に頼ることになる。そのために、たいそう患者が増えたように思えるのである。

子どもは大人になるためのひとつの段階ではない。-家族がお互いに名優になればうまくいく父親の権威の回復はどうしたらよいか、という問題があるが、それには、父親自身が意識的に努力するというのが基本線だ。しかし、周囲でつっかい棒をするというか、肥しをやることもまた大事なことだ。周囲で父親の特権を援護し、もり立ててやらねばならない。それを母親が父親をけなして、父親の代行という顔をして得意げになり、いい気持ちになっていることは感心しない。結局これは母親が自分自身の首を締めることになる。決して利口なやり方とは言えない。
やはり、父親をみんなで守り立てて、いかにも強そうに見せるのがよかろう。たとえ張子の虎でも、いいのだ。

学校を出ることが偉くなる条件だ

そのように周囲でつっかい棒をするということは、結局は自分たちの自己防衛にもつながることになるわたしは人間同士のつき合いは、お互いが名優になることによって、うまくいくのではないかと思っている。同じ屋根の下に住む家族とても例外ではない。家族もみなお互いに名優にならねばならぬ。一家のつき合いもまた一種の芝居であるからである。芝居といってもいいし、また化かし合いといってもいい。
姑はヨメを天下一のヨメだとおだてればよい。
は夫をほめたたえればよい。
夫は凄に、たえず愛の言葉をささやけばよい。
凄これでお互いが満足して万事うまくゆくはずだ。

母が家にいるという

子供をほめるだが、人間はそれほど単純ではないし、心理的抵抗がこれを阻むから、そう簡単にことは運ばない。第一、人間にはプライドという厄介なものが宿命的に存在しているからめんどうなことになるまあ、要するに、その抵抗を排除して、ドラマをどの程度、推し進め得るかが問題なのだ。
原則として、お互いの欠点をあばき立て、それを追及し、責めるより、お互いの長所やいい点をほめ、たたえ、おだてたほうが、人間は心安らぎ、進歩の道をたどる錦鯉は長命だそうである。公認世界記録はわが国、白川郷のそれで何と二百五十三年ということだ。これはエラかどこかに、樹木でいえば年輪のようなものがあってわかるのだそうである。その道の人は、鯉の長命は、怒らず、ケンカせずからきているという。鯉は十日も餌をやらなくても、あせらず、イライラせず悠々と泳いでいるだが、犬の寿命はたった十六年くらいだという。犬はよく吠え、だし、この説は鯉の好きな人から出たものだからアテにならないよくケンカするかららしい。
た-父親の威厳は強すぎもせず弱すぎもせずが大事四十代、五十代のサラリーマンに帰宅拒否症
が増えてきているという。これは勤めが終わっても家に帰りたくないという心の病で、本田靖春さんが現代一九八九年四月号でルポをしているので引用させていただく。


子どもに辛抱させようと思っている 母子がいっまでも密着しすぎている 子どもがどうしてこわがる

成長の限界につながってしまう可能性もあります。

大学卒って言ったって

双方の感謝や喜びにならない仕事がありすぎるようだと、その社会はゆがんでいるのだといえるのではないでしょうか思春期は心身の成長発達がいちばん激しく活発な時期で、つまり、心と体の変化が自分でも驚くほど大きくて、それがまたどの面も一様に変わっていくのではない、ある面だけが急に変化するというバラツキやムラがあるために、心にも体にも平衡感覚が保ちにくいところがあれこれと多い。
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指導の専門家に任せるのが正解

それでむしろ
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母さんなど
母さんなど

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子供はちゃんとそれを感じています。

こんなままで黙っていてほんとうに大丈夫なのかしら?と、親は心配で心配でたまらない。
こういうときの親の態度についての鉄則!それはどうしてこんなことになったの?
だの、いったいどういう気?
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どうしてこんな不合理がまかり通るの?と首をかしげざるを得ないことばかりですからねえ。子どもの価値を創造していこうという気持ち


子どもの生活 成長の限界につながってしまう可能性もあります。 幼稚園ではどうか?

母親は自殺

父親よ強く

子どもの前で母親が父親へ命令する場合、えてして夫の悪口になることが多い。グズだとか、男らしくないとか、つい口にするものだ。これは子どもに対して大きな悪影響を与える。いよいよ父親の権威が地に墜ちる。くどいようだが、子どもの前で夫の悪口を言うことは、母親も自分自身の首を締めることになりかねないのだ。それを防ぐためには、父親も威厳を持たなければならない。
威張るというのではなく、家族に対する責任感を持ち、それなりの人格を備えることだ。夫の悪口を言う凄も悪いが、言わせる夫もだらしがないのであるつまり、子どもにとって父親たる姿を見せるためには、凄の協力が不可欠ということでもある。
そしてそのためには、夫たるもの凄の協力を得られる夫たりえなくてはいけないのだ。

中学二年の秋

父親は心にゆとりを-悩みを忘れるために歌の道へ進んだ父父·茂吉は歌人として、二回の全集につづいて、今なお新たに選集が刊行されるなど、人びとに愛されていることはまことに有難いことである。この父の才能とその成果はどこからきたものなのだろうと、ときどき考えることがあるそれには、まず、素質と環境を取り上げるのが妥当だろう。文学者のみならず、に達するには、素質が必要で、それに環境が大きく関与してくると思うあるレベル以上文学や芸術は暖房完備の温室の中からは生まれない。お金もあって、いい奥さんがいて家庭も幸福で、子どもたちは親に少しの心配もかけず、社会的にも出世して何の苦労もないという
温室には、芸術は育たないと思う。
いみじくも松本清張さんがおもしろい言葉を述べている。悪妻が文豪をつくるという言葉だなかなかうがった言葉だ。

 

子どもの心に届かない習性

母は働かなければならなかった。子どもをもっと抱きしめてあげてください。

生前、わたしの母は父の同情者、ファンから悪玉女だといわれていたらしい。もちろんその反論はわたしにあるが、とにかく世間にはそういう批判があるようだ。森鴎外夏目漱石のファンは、同様に、その夫人を悪凄だと言う人がいる。なぜそのように言われるのだろうかわが家の場合第一に、父が養子の身であり、養家に遠慮があったということ。母は家つき娘でわがままいっぱいに育っている。もともと次女なのだが、長女が早く死んだので、まるで長女のごとく育てられた。

母さんは一生懸命にそんな自分性格も強く、本当は女に生まれないで、男に生まれるべき人だったと思われる。その証拠に、祖父は、
おまえが男だったらなあと、しょっちゅう洩らしていた。代議士までやった祖父に頼りにされるほどの実務的なタイプの母だから、文学的な父とはウマが合うはずがないまさに正反対、水と油の性質だ父にとって、決して家庭は楽しいところではなかった。そういう悩みや苦しみが、よけい芸術に没頭させたとも考えられる。さらに、おおげさに言えば、悩みを忘れるために歌の道にのめりこんでいったとも考えられる。これが要因の一つであろう。もともと素質はあったと思うが、人から勧められてやったのではなく、あくまで自ら選んだ道なのであるこれは自分でも書いているが、正岡子規の本を神田の古本屋で手にとってペラペラとめくったとが、歌詠みの道を歩むきっかけになったと言われているが、これは本人のみが知ることだろう。
子どもや妻を前に話してみる。
子どもや妻を前に話してみる。

成長してきた女の子

子どももつい愉しくつられています。麻薬中毒が最初の一本の注射で決まるというのと同じだと言えば言えないこともないが、真相はわからない子規の本を手にとったときが、麻薬中毒でいえば最初の一本であって、素質的なものがあったからこそ、急速にそれに惹かれたといえばドラマは成り立つ。歌をつくっていれば、悩みも忘れられるということから、どんどんエスカレートしていったのではないか、とも考えられるがこれもあくまで推測に過ぎない。
-趣味が心の余裕をつくり上げる父が晩年、戦争のために疎開した先は山形の豪雪地帯という気象条件の厳しいところだったが父の一生のうち最も心の安らいだ時期だったのではないかと思う。病院は空襲で燃えて、心をくだく仕事はなくなり、周囲は故郷の人ばかりで気心は知れているし、故郷の言葉も気楽に喋れる。多くの人々の親切で、最低の生活は保障されている。心おきなく自由にあたりを散さくし、自由に歌もつくれる。この時期が父にとって最も心の安定したときではなかったかその証拠に、父は絵を描き出している。

子育てにも当てはめてしまう

父は三男坊だったから職業の選択は自由だった。
の頃は将来なりたい職業は、坊さんか絵描きだった。
子ども坊さんというのは、父が子どもの頃教えを受けた和尚さんのことが頭にあったのだろう。生家の隣りがお寺で、その住職は窿応和尚といって、父が漢文をはじめいろいろと教えをいただいた方である。小学生のころすでに論語を素読出来るほど、その和尚さんに薫陶を受けた。精神生活の恩師といえたもう一つ、絵描きのほうだが、父は子どもの頃から絵を描くのが好きだった。
凧絵を描いて、そ
はれを売って、小遣いにしていたほどで、当時の凧絵が今でもたくさん残っている。父の日記には絵がたくさん登場する。小学校三年生のとき担任


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