教育をしています

成長するに従って自由度の枠をひろげ

す私は、いわば必要な情報を提供するので通りがよいから、私は自分のことをカウンセラーだと称し、相談面接することをカウンセリングだとはいっているものの、私の相談面接は、戸惑っている親に対しての私の相談面接は、まず親に来ていただきます、長年の体験で得た大事な情報の提供、知識の伝達なのです。これは、カウンセリングというよりも、オリエンテーション、あるいはガイダンスとでもいうべきものかもしれません。だから厳密にいえば、私の仕事は、親として果たすべき役割についての、オリエンティターあるいはガイドですねただ親は、なまじの知識を持っていただけではどうにもならない。教育としては片肺代行という状態にあるからです。勉強をすることを世界の平和

両親や兄たちからはこぞってその交際に反対

実践するにはそれだけの訓練·鍛錬というものがいります。実際にやっていくための慣れない苦労というものを、親は味わわざるを得ません。それを横で見ていて力添えをする。この役割が、実際上のカウンセラーとしての働きであるわけです。
どこまでが、オリエンテイターであり、ガイドであるのか。そしてどのあたりからカウンセラーとしての仕事に入っていくのか。その識別が、とても大事なのです。
簡単な区別をすると、オリエンテーションとかガイドというのは、相手の意識に働きかける仕事です。それに対して、カウンセリングは、相手の心が無意識のうちに自由に動きやすくなるように、かたわらに添う仕事なのですね。


子供が自殺したくなるのも無理はない。
子供が自殺したくなるのも無理はない。

育てられたものです。

しつけとは身についていなくては困るものです。なんでも新しく実践しようとすると、必ずしくじりが起こります。親は幾千のしくじりを越えてこそ、親としての幅広い識見が身につくというものですね。聞くはいっときの恥、聞かぬは末代までの恥というのは、まさに親に向けるべきことばです。恥ずかしくてとても人前では口にできないことを知らず知らずのうちにしっかり語らせてやって、自分自身のことばを自分の耳で聞くという体験を味わわせてやるというのが、カウンセラーとしての仕事の要です。親にそれを体験させるのが、カウンセラーとしての私の任務と、私は心がけています。
私のところで心を広げた親は、家に帰ってわが子にとってのよいカウンセラーになる。子どもは親の過剰な期待の重圧をまともに受けとめて思春期の子どもにこそ、よいカウンセラーが必要です。もはや子どもではなく、さりとて大人になっているわけでもない。まだまだ狭い体験のなかでの壁にぶちあたっていて、嘆き悲しみ、絶望に落ち込んだり怒りにふるえたりしている。どよめきあふれる小さな急流を、はるかに広がる悠久の大河へとうまく導いてやるのが、思春期の子を抱えた親の仕事。
この仕事で大切なのは、交わせなくなる代わりに、やっぱり私が思うに、だけどをあわてて言い重ね、互いにことばがだのにを自然に発して心にゆとりを持たせることなのです。
人生を、大河の流れだと見る。

子どもからのいろいろな文句があ

洋々と流れるその大河を、ここまで流れ来たのだなあと、深い感慨で眺め渡せる年齢になるまでに、いろいろあるのですね。なによりも、苦々しい思いもかけないようなしくじりごとが子にある以上に、親にあるのですよ。
子の思春期を迎えた親は、ここでしっかり胸の息を吐き出して、吐き出せるだけ息を吐き出して、そして静かに胸を張って、息を吸い込む。空が見えますか。この広い空を、この頃、ちょっとしっかり眺め渡すことを忘れてはいませんでしたか。
親が心のゆとりを持ち直す。
これが、第一の心得ごとなのですね。

不安定な自我

今までのあの子と違う子どもによってずいぶんと個人差のあるものです二年生から目立ってそうだと思える時期になり、高校二、三年生にもなればそこからいつぐらいを指すのでしょうか。
思春期とは、が、中学一、抜けたかな、という感じになっている。
平均的にはそういうところでしょうか。
子どもから大人になる心身の不安定な期間。単純な無邪気さから脱する時期ですね近頃は早くなって、小学五、六年にはもうそんな感じだという人もいますし、そうかと思えば


子供に接してほしいものです。
子供に接してほしいものです。

子どもに生命を捧げる気持ち

「うちの子は高校も終わる頃からつんけんと親に当たってもう難しいの。あの子、それまでは素直ないい子だったのに」などと、遅まきの思春期の到来に、戸惑ってしまう例もあるわけです。
比較的はっきりしていて短い期間だったということもあるし、よくわからないまま大人になっていたということもあるし、かと思えばいつまでたっても抜けきらないということもある。これはもうさまざまです。
身体面の成長発達の具合によっても、ずいぶん違ってくるものです。
「同じように生んで同じように育てたのに、きょうだいでよくもこれだけ違ってくるものだ」
と、多くの親は、わが子のそれぞれが、性格も気性も違うのにはつくづくあきれてしまうものですが当然、思春期の様子も、きょうだいで違いのあるのが普通です。教育的にプラスの面もある


教育としては片肺代行という状態にあるからです。 体験しました。 大学の医学部に入