体験しました。

子どもはある時期家の手伝いをしたがります。

大人は慣れっこになっていて、いちいち気にしないのですが
何千億円という巨額にのぼる不正事件や、政治闘争のウラのあからさまな利権争いなど、新聞の一面をにぎわす政治経済の大問題から、社会面にあふれかえる市民の暮らしのトラブルとか刑事事件などなど。果てはちょっと街を歩けばとんでもないところの不法駐車や、走っていく自動車からの煙草のポイ捨てまで、なんで平気で他人の迷惑をかえりみないことが、こんなに多いのかといらだってしまう。気になると、大変なのです。

育てると心得ましょう

タバコ世の中の不正や不合理を見つめていると、人間社会のあり方そのものに不信を抱いてしまうのも無理からぬものだ、と私も若者と同じ思いです。
だのにです。だのに、一方で、それにもかからわず黙々と勤め、いそしんで、この私たちの暮らしを支えてくれる圧倒的な平凡そのものの営みというものがある。その全体は目で見渡して明らかに見えるものではない。見えないそれらが、いかに当たり前に日々行なわれているかを思うときああ、支えられているのだなア、と心の中で声をあげてしまう。それをまた実に思うのも確かです。
でもそれは大人になってこそ思うのですね思春期の子どもの心は、自身の成長発達が盛んで、つねに心身のバランスが不安定なために、ひたすら正義への思慕が、強く激しくなってしまうものです。

 

母親は彼女

成長の芽を摘んでしまうことが多い。体験ができればその欲求は満たされ解決される。

ゆがんだもの、ひずんだもの、正しくないもの、利欲にからんで他をかえりみないものなどが、ことごとく許せない、と力み返ってしまいがちな時期なのです。
思春期の人たちになにかを忠告するとき、その自負心や自尊心というものを傷つけて、反動·反抗を招いてしまうのは、あとあとの厄介の元になります。
かえって支える者が支えられるという世間のもっとも尊い実相が、のしるしなのだと私は思うのです。
まだまだよく見えないというのは若さ大人はしみじみと、子どもにこう語ってやるべきです。

子どもと対比して特別「おまえ自身のだらしなさ以上に、世の中そりゃずーっと幅広く、いい加減でだらしないことが広がっているのさ。
になってしまう。
と、こんな世の中で、自分だけがどうしてまじめに頑張れるのかって、だけどなあ、浩司」
ばからしい気おっとっと。
ちょっと待って。
このような語りかけではつい
だけどなぁぁというのが、絶対の禁句なのですよに入ってしまいがちですね。
でも、この
だけどな
だけどなあそれまでは子どもにとって納得できないではない表現も、と、そこで途端に子どもがしらけてしまうのです。
子どもの気持
子どもの気持

学校が多い

子どもの話を目を見ながら聴く。そのあとにすぐと続くさっと目の光が失せて口がとがり「いいよ、もう。どうせ大人の言うことは決まってンだ。
聞く気はないよ」
とうそぶいてしまうここはどうでも、次のような語りかけでなきゃ、どうにも駄目なのです。つまり、r……こんな世の中で、自分だけがどうしてまじめに頑張れるのかって、ばからしい気になってしまう。
ほーんとに、そういう気になって当然なんだよ。
うん、わかる
としっかり言い切って、句読点のr
をしっかりとつけて。
一息ついて、そして、清心な気持ちになり直してだのになあ、浩司
と、さらに語りかけるのです。
「だのになあ、浩司。また一方で、黙々と自分のやれるまともな仕事に心も体もぶち込んで、この世の中の、土台の土台を支えている人がまた、これまた実にいっぱいいることも、自身もしっかり知っているとおりなんだからねえ」

育児というのこそほんとにつくづく思います。

これは、おまえと。知らないことを教えてやるのでなく、おまえも知っているとおりだと。
だけどでつながないで、だのにでつなぐ。すると言ってることは同じようでも、言っている者の心の置き場所が変わるのです。
すっかり身についただけど
だけど
どうかその都度感じ直して、だのに
難しい時期の子どもへの上手な対応に役立てられるくらいまで、さてさて、このとの違いについては、この本のあちこちで触れていきますひとつしっかり身につけてください。子どもでしてねえ。


体験ができればその欲求は満たされ解決される。 母さんにもよくわからないけど 母さんが石を投げている。